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パパに聞く
第4回 北澤豪さん サッカー解説者、財団法人日本サッカー協会特任理事・国際委員 元サッカー日本代表、Jリーグのスター選手として活躍した北澤さんは、現役時代からアジア、アフリカ地域の恵まれない人たちを対象にサッカー教室を開くなど、社会貢献活動に熱心なことでも知られます。現在もサッカー解説者に加えて、日本サッカー協会の特任理事や国際委員、さらにはJICA(国際協力機構)オフィシャルサポーターとして世界各国を飛び回る多忙な日々を送っています。
2男1女の良きパパである北澤さんに、親子のコミュニケーションの重要性を熱く語っていただきました。

撮影/坂井 信彦

父の助言、家族の存在があったから、僕はサッカーを続けられた。

僕はもともと、子育てには父親も積極的に関わるべきだと思っていました。ただ、初めての子が授かったとき、最初はだっこするのも恐くて、お風呂に入れるのも、オムツを替えるのも、やる気だけは100%あるにもかかわらず、「うまくできない」と、妻に任せてばかりでした。子どもを大事に思うばかりに、もし何かあったらどうしようという不安が先に立ってしまった結果でした。

そんな端から見れば何もできない父親も、2人目、3人目ができると、ずいぶん成長しました(笑)。3人目のときは、もう何から何までできるようになっていました。やはり経験というのは重要なんだなと思います。

自分がどういう父親であるべきなのか、どう子どもと接するべきなのかということについては、ずいぶん考えました。最初は育児書を読んだり、いろいろと情報を仕入れて、どこか頭でっかちになっていた時期もありました。結局のところ、あるべき父親のイメージは自分の父親から来ていることに気づきましたね。

タクシー運転手をしていた父は、僕のことを陰に日なたにずっと応援してくれました。2003年に現役引退するまで、父は「お前には負けないぞ」と言い続けました。互いに意識し合って、「自分も頑張るからお前も頑張れ」という感じで、どこかライバル関係のようでもありました。

僕が子どものころに抱いた「サッカー選手になりたい」という夢は、親の協力無しには叶えられなかったと思います。何度か大きな壁にぶつかったときや、人生の節目節目で、父は励ましの言葉や的確なアドバイスをくれました。それが大きな力になって、僕はくじけることなくサッカーを続けられたんです。何より途中であきらめずに続けられたからこそ、プロサッカー選手になるという目標にたどり着けたわけですからね。

いまにしてみると、父の言葉の中身や、言うタイミングの良さというのは、「息子にはこうあって欲しい」という気持ちに裏付けられた、父なりに考え抜いたものだった気がするんです。仕事で忙しい中でも、いつも息子のことをきちんと見てくれていたんだろうと。

ただ、親がいつも自分に期待をしてくれているということが、ある時期プレッシャーになったこともありました。別に見てくれなくてもいいのに、と思ったことも少なからずありましたね。でも、離れて暮らすようになり、また親離れして独立してから、「振り返るといつも家族がいた」という僕の幸せな記憶は、何よりも代え難い大切なものとして甦ってきました。どんなに辛い時でも自分は一人ぼっちじゃないという気持ち、家族が期待してくれているんだというモチベーションは、とても心強い味方になりました。

僕もいま3人の父親として、子どもたちにそんな「親の記憶」を与えたいと思いながら、日々接しています。

きちんと子どもの成長を見てあげたい。

上の2人が男の子だったということもあり、基本的には自分の好きな道を歩んで欲しいと思う反面で、できることならサッカーをやって欲しいと思いました。よく試合や練習場にも連れて行ったりして、僕がサッカー選手だったという記憶を残しておきたい、あとで「昔はああだった」なんて話すよりも、実際の記憶を少しでも残しておくことが大切だと思ったんです。僕もそれをモチベーションにしてなるべく長く現役を続けようとしていました。

いまは2人とも小学校のサッカーチームに入っていますが、長男はともかく、次男は「覚えてない」なんて言う(笑)。そうは言っても、うっすらとは記憶に残っているようで、最近では現役時代のことをよく聞いてくるようになりました。むしろ長男の方は僕の息子であるということを少しプレッシャーに感じてきたりしているようです。

いまでもよく覚えているんですが、次男が幼稚園の年長組のとき、突然「サッカーは好きじゃない」と言い出して辞めてしまったんです。当時の僕は、息子たちはサッカーをやって当たり前と思っていたので、かなりショックを受けました。子どもというのはある時期独占欲が強くなったりするもので、サッカー教室などで他の子にも教えている僕に対して「どうして僕には教えてくれないの」といったジェラシーを感じることもあったんでしょう。そのあたりのフォローはきちんとしているつもりだったんですが、どこかで「息子たちはやって当たり前」と思い込んでいたんです。

これは父親としての試練でした。もしかしたら当人のやりたいことを優先してあげていなかったんじゃないかという反省心がわいてきて、もっと子供たちの声を聞こうと思うようになりました。わがままを放置しない程度に、きちんと意思を尊重してあげるというのは、子どもの成長にとってとても大切だと思います。次男はその後、「友だちがサッカーやっているから」と言って、あらためて自分の意思でまたサッカーを始めてくれました。これは僕にとっては幸せな結果でしたね。

息子の友だちが家に遊びに来たとき、僕は「ウチの子は学校でどうなの」とか、さりげなく聞いてみたりするんです。家で見せる表情と、学校とでは違うかも知れないし、自分の知らないところで成長していたりすることもある。そういう変化について、父親としてなるべく気づいてあげたいと思っているんです。

自ら乗り越えるべきときは少し遠くから見守り、助けを必要としているときはきちんとアドバイスしてあげる。僕はそういう父親でありたいと思っています。そのためには、できるかぎり子どもと接して、彼らをよく知る必要があります。ウチの場合はサッカーですが、親子で同じ趣味や楽しみが持てれば、自然と接点が生まれてくると思いますよ。

サッカーを通じて、人を思いやる心を学んで欲しい。

北澤家のモットーは“ポジティブ”です。物事を常にポジティブにとらえることができるようなメンタリティーや行動力を身に付けて欲しいと思っています。ポジティブであれば、多くの選択肢を得ることができますし、たとえ行動が結果に結びつかなくても、行動の過程でいろいろなことを学んで次につなげることはできると思うんです。

子どもたちへのアドバイスは常に前向きなことを言うようにしています。ただし、子どもは親の言葉や行動に敏感なものですし、子どもたちにポジティブであって欲しいと思うからには、僕自身が常にポジティブでなければいけないわけです。まずは親としての姿勢が問われてくるんですね。

家でいっしょに過ごしたり、家族みんなで出かけたリする時間のほかに、僕は1対1で話す機会を意識的に作るようにしています。長男には長男の、次男には次男の個性がありますし、その個性にきちんと向き合ってあげるべきだと思うからです。

僕はサッカーという団体競技を通じて、チームメートが互いに助け合う重要さを学びました。それはいわゆるボランティア精神や人を思いやる心というものに直接通ずるものだとずっと思っていて、実際にいろいろな国を訪ねて恵まれない子どもたちにサッカーを教える活動をするなかで、その思いはさらに強くなっていきました。

スポーツから学べることはたくさんあります。あえて一つ言うなら、子どもたちには「困った人がいたら手を差しのべることができる人」になって欲しいと思っています。そして1人でも多くの子どもたちがスポーツを通じて、人間として大切なことを学んで欲しいと願っています。

【インタビュー日:2008年7月16日】


プロフィール

きたざわ・つよし

1968年東京都町田市生まれ。町田SSS、読売ジュニアユースを経て、修徳高校在学時に全国サッカー選手権出場。87年本田技研工業入社後、日本サッカーリーグ(当時)1990-91年シーズンで得点王を獲得。91年に読売クラブ(現東京ヴェルディ)に移籍し、Jリーグ草創期のヴェルディ黄金時代を支える主力選手として活躍。日本代表としても国際Aマッチ58試合出場(3得点)。2003年に現役引退後はサッカー解説者を務めるかたわら、カンボジアやアフリカ諸国などの子どもたちを対象にしたサッカー教室を開くなど、日々精力的に活動を続けている。06年には絵本『ぼく(わたし)と魔法のスパイク』(i-ehon)の原作も手がけた。

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