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第3回 二宮清純さん スポーツ・ジャーナリスト スポーツ・ジャーナリストとして、ありとあらゆるメディアで活躍する二宮清純さん。日々の取材活動やテレビ出演、シンポジウムと、国内外を飛び回る超多忙な二宮さんですが、高校1年生になる娘さんの父親としては「超放任主義」だそうです。その背景には、二宮さん流の人間観、親子関係に対する一貫した考え方が垣間見られます。
撮影/坂井 信彦

僕は完全放任主義。父親のDNAの影響かも知れません。

長年国内や海外を飛び回る仕事をしていますので、ふだんはなかなか娘と顔を合わせることができません。正直言って、娘と話したことで記憶に残っていることなんてほとんどないですね。以前、家に帰ったら急に大きくなっていてビックリしたこともあります。子どもって急に大きくなるんだなぁと思いましたけれど、よく考えてみれば、それだけ会ってなかったんだということに気がつきました(笑)。

僕は男ばかりの兄弟の中で育ちましたから、娘とはいえ、女の子の扱い方というのが、いまだによく分からないんですよ。男の子なら、キャッチボールとか相撲を取るとかいろいろあるんでしょうけど、女の子だとどうもねぇ・・だから、特別何かをして遊んであげたという記憶もほとんどないんです。

良く言えば放任主義、悪く言えば無責任な父親ですね。まあ、僕が好きなことをやってきたので、娘も自分の好きなことをやればいいんじゃないかなって思っています。自分で好きなことを見つけて続けていけば、人生においても一生懸命になれるんじゃないかと。親であれ他人であれ、ああしろこうしろと押しつけられると、人間は反発しますからね。

僕も子どもの頃、父親からああしろこうしろと言われたことはないんです。僕の実家は10代続いた農家で、父もその後継ぎとして農業に従事していましたが、とにかく非常に趣味が多くて、いわゆる趣味人でした。尺八を吹いたり、庭に池を作ったり、骨董品を集めたり、カーマニアでもありました。とにかく何にでも凝るような人が唯一興味を持たなかったのが、子どもに対してだった(笑)。そんな父親のDNAを引き継いでしまったのかなぁ・・僕のいまの父親ぶりを見ると、どうも否定できない気はします。

父は昭和ひと桁生まれで、剣道二段。どこか近寄りがたい威厳がある人でした。仕事か趣味にいつも時間を費やしていましたから、いっしょに遊んだ記憶もなければ、どこかへ連れて行ってもらった記憶もほとんどありません。やっぱり子どもの頃は、「たまには遊んでもらいたいな」なんて思ったことはありますよ。周りはそうしてるじゃないですか。単純にうらやましいわけですよ。でもそう思ったのも小学生くらいまでで、中学生くらいからはもうそんなことも考えなくなりましたね。

そういえば、男兄弟3人の名前をよく間違っていました。その時は「ああ、この人は子どもに興味がないんだな」って、よく分かりましたよ(笑)。そんな父ですから、勉強しろとかどういう仕事に就けとか、いっさい言いませんでした。僕は長男ですから、家の仕事を継いで欲しかったんだろうと本心では思うんですが、それも結局言いませんでした。

僕自身、こんな環境で育ったものですから、親子の濃密な関係っていうのがあまりイメージできなくて、ましてや相手が女の子ですからね。どう言えばいいんでしょうか・・異星人みたいな感じかなぁ(笑)。

娘が小学生の時、一度だけ授業参観日に行ったんです。1年1組だと思って教室に行ったら、いないんですよ。おかしいなあ、今日は娘は休みだったのかなって思って帰ろうと思ったら、娘とすれ違ったんです。「あれ来てたの?」って。聞いたら2年1組だった(笑)。僕は娘が進級したのも知らなかったのかって、ちょっと反省しました。娘の高校進学についても、僕はいっさいタッチしていません。いくつかの学校を受けてたのは知っていたんですが、すべて本人任せといいますか・・まぁ、娘がお酒が飲めるような歳になったら、「あの時、本当はどう思ってたの?」なんて、いろいろ取材してみたいなと(笑)。

僕は誰に対してもそうなんですが、自分が強制されるのがあまり好きじゃないし、人に強制するのも好きじゃないんです。娘も例外じゃありません。自分自身で興味のあるものを見つけてくれればそれでいい。だから、たとえばこんな本を読めとか、そういうことすら、僕は言わないんです。

健康であること。それ以上望むことはない気がします。

昔、野茂英雄(※1)と話した時に、「息子さんをどういうふうに育てたいの?」って聞いた記憶があります。そうしたら彼は、「健康ならいいんですよ」と言っていました。僕はすごく分かるな、同感だなと思いました。難病とかで悩んでおられる方には申し訳ないけど、健康であることがまずは大切なんだと。それ以外のことはあまり関与しないというと、無責任な親と思われるかも知れませんが、親には親の人生があり、子どもには子どもの人生がある。ひと言でいえば、そういう考え方なんです。

実は、僕は重度の小児ぜんそく患者で、いまでも調子が悪くなると吸入をするんですが、幸い、娘は小児ぜんそくにならなかったので、良かったなぁと思いましたよ。もうそれだけでいいとまで思いました。ぜんそくというのは、僕の経験に照らせば、なかなかしんどい病気なんですよ。発作は本当に苦しいけれど、熱が出たりするわけでもないから、吸入をして治ってしまえば、「あれ、おまえ元気じゃん」って。つまり周囲に理解されにくい病気なんですね。娘はぜんそくでないと分かったときは、本当にホッとしました。

勉強するとかしないとか、興味のあることを見つけることにしても、それは本人が決めればいいことだけど、健康というのは自分の力だけでは手に入れられないものです。健康であれば、元気であれば、あとは自分次第。それは僕の経験から来る考えでしょうけれどね。

居心地の良い距離感をはかること。それは親子関係でも同じです。

僕は人を取材する仕事をしていますが、本当に深いところでは、あんまり人と関わりたくないって思ってるんです。取材とは距離感だと思っていますから。言い換えれば、互いが居心地の良い距離を探すのが僕らの仕事だと思っているんです。インサイダーになってしまうと批判ができなくなる。でも外から石ばっかり投げていても無力でしょう。ですから、批判もできて、相手も聞いてくれて、自分もリスクをとれるくらいの距離が大切なんです。

そういう距離感って、親子に対しても、兄弟に対しても、言えることじゃないかと思うんです。人間って生きている限り、他者との居心地の良い距離感を、一生探し続けるんじゃないかなと。それは親子だから特別というものじゃないと思います。

僕自身も、父親との距離感をおのずとはかっていたんでしょうね。親子なんてこういうもんだろうって。へんに愛情をかけられなかったっていうか、ベタベタしたところのない関係でしたが、父は不器用というか、モダンな人でしたが、一方では前近代的な体質も引きずっていました。田舎でしたし、それはいい悪いじゃなくて、そういう時代だったということでしょう。でも父は本当はエンジニアになりたかったらしいんです。当時は親に逆らってまでやりたいことをやれる時代じゃなかったので、泣く泣く農家を継いだわけです。僕にも継いで欲しかっただろうに「継いでくれ」と言わなかったのは、子どもに頭を下げたくないという意地もあったと思うけれど、おまえくらいは好きにしろ、俺は何も言わないよということだったのかも知れません。父は父で、いろいろと葛藤があったんだろうと思いますが、僕に生き方を強制することはしませんでした。

たとえば「自分はこれで失敗したから、子どもにはそうさせたくない」といった親の意見をよく聞きますけれど、とてもネガティブな考え方ですよね。自分の夢を子どもに託すとか、そういうのって、子どもからしてみれば大きなお世話ですよ。子どもには子どもの人生があるんです。そんな僕の娘は、スポーツにはあまり興味がないようなんですが、書くことには興味を持ってきているようなんです。分からないものですね。

【インタビュー日:2007年9月4日】


プロフィール

にのみや・せいじゅん

1960年愛媛県八幡浜市生まれ。スポーツ紙や流通紙の記者を経て、フリーのスポーツ・ジャーナリストとして独立。2000年に株式会社スポーツコミュニケーションズを設立し、代表取締役となる。オリンピック、サッカーワールドカップ、メジャーリーグベースボール、プロボクシング世界戦など豊かな取材経験を持ち、新聞・雑誌に寄稿するかたわら、鋭い分析力と発言力を活かしてテレビコメンテーターとしても活躍。講演やシンポジウムでも引っ張りだこである。また地域スポーツクラブの支援活動にも尽力している。

※1
プロ野球投手。アメリカメジャーリーグで活躍する日本人選手のパイオニアとして知られる。
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